みみげのブログ

思うままに書きます

浪人体験記

 

 浪人とはいかなるものか。浪人生は何をすべきか。巷にあふれる浪人生へのメッセージは、いまいち心に響かない。資質、学力状況、性格、環境、その他すべての要素が一人一人異なるからだ。ここでは一浪して京都大学に合格した私の浪人時代を振り返り、私が1年間何をし、何を思ったか、私自身が整理するための記録を書いてみたい。したがって科目ごとの成績の推移や勉強計画について詳細に書くことはない。あなたが浪人生であるならば、これを読んでもあなたの1年の計画になんの役にも立たないが、気持ちをいくらか軽くすることはできよう。

 

そうだ、浪人しよう

 私は現役時代、京都大学に落選した。なんと受からないと思っていたにもかかわらず滑り止めを受けていなかったため、大学進学という希望はあえなく散った。高校卒業後、行先の決まっていない人間の選択肢は3通りである。大学受験をしないか、予備校で浪人するか、宅浪するかだ。私は2023年3月、駿台予備学校に入校することにした。

 駿台の学費は年間約100万円、それに講習代がプラスされる。浪人生はここで、私立大学文系学部とさほど変わらない学費を払って大学進学を目指す。ここでは文理、学力ごとにクラスに分けられ、必修授業と各志望大学向け授業を受ける。私の通っていた校舎では、年5万を払えば自習室で個人が専用で使える席をあてがわれることができ、これは大変有用な制度だった。また、駿台ではガイダンス時、授業を切る人は授業に出ている人より成績が悪いと聞かされたが、そんなものはポジショントークに過ぎないので、コロナ禍によってオンデマンド配信が開始されたおかげで、私は6、7月頃から早々に授業を切ったり、貸し与えられた制約だらけのipadで配信授業を見たりしていた。このオンデマンド配信は、コロナ禍が収束したという理由で廃止されるという噂を聞き、私の生命線がなくなっては困るので心配していたが、なんとか1年間利用し続けることができた。夏期講習は初めは対面授業をとったのだが、私の生活リズムを考慮して担任が映像授業に変更することを勧めてくれた。そしてそれは大正解だった。夏休みが明け、私はとうとう予備校にほとんど行かなくなり、家にいる日は配信授業を見、自習のために週2、3日予備校に行くという生活が続いた。現役時代も秋からやる気がなくなっていたので、私は秋にダラける習性があるようだ。受験生としては最悪である。秋に関しては現浪共通で、共テに向けて本格的に勉強し始めた11月後半ごろまで、何をしていたのか記憶がおぼろげである。1月に共テを受け、自己採点でまあまあ上手くいったことが分かり、残り1ヶ月もほとんど家で仕上げを行った。そして2024年3月、1年越しとなってしまったが、京都大学に合格した。

 

浪人はモラトリアムである 

 ここまでは、なんだかやる気のない人間がぬるっと合格している様子が浮かび気持ちの良いものではないだろう。実のところ、「受からなかったらどうしよう」というプレッシャーは常にあったし、それは「夢やぶれて」絶望することに不安だったのではなく、「自分の環境で、1浪したくせに京大に受からなかったら恥ずかしい」という種の圧力である。私の場合、比較対象は現役で合格していった同級生たちでもあり家族でもあったが、何にしろとても健全な精神状態とはいえなかった。4月末、現役時代の開示結果によって1.0点差で落ちたことが分かっていたので、このプレッシャーに対して「あと1点あれば受かっていたのだから順当に勉強していれば大丈夫なはずだ」と自分に言い聞かせることによって平生を保っていた。受験というもの自体に納得できず、このように自分を追い込むことでしか勉強の原動力を確保できなかったのだと思われる。
 ところが、心意気は勉強に向いていても、その時の気持ちがそうとは限らない。浪人生は基本的に提出しなければならない課題もなく、全ての時間を自分の気持ち次第でどのようにも使えるので、遊ぼうと思えばいくらでも遊べるし、思索に耽ようと思えばいくらでもできるのだ。私の場合、問題に取り組んでいる時以外、常に頭が話すことを止めなかった。帰り道、音楽を聴きながら空を見上げる回数が増えた。このように文章を書くことを覚えた。本屋に寄って、詩集や短歌のコーナーを覗くようになった。

 人生には、こんなゆるやかな時間が必要なのではないだろうか。いや、精神的には全くゆるやかではないけれども、気が済むまでいくら考え事をしてもいい、誰に何を言われることも無く、結果さえ出せば後は何をしてもいい、時間に追われず(勉強には追われているけれど)、すべて自分の気持ち次第で一日を如何様にも過ごすことができる、そんな日々が必要なのではないだろうか。正常性バイアス、あるいは生存者バイアスだと言う人もいるだろう。浪人なんてつらいこと、できればしない方がいい。しんどい経験をするのは誰だって嫌だ。でも、ただでさえ忙しい現代人が、長い人生の中で1、2年くらいは学生でもなく社会人でもない、何者でもない時間を経験することによって得るものが確かにあるはずだ。もっとも、浪人生であるからには勉強しなければいけないプレッシャーで思う存分遊べないし、たくさんのことを来年へ後回しにするだろう。けれど人生は回り道だ。ちょっとレールを外れてみて、上手くいかなかったらまたちょっと軌道修正すればいい。ストレートで卒業し、ストレートで進学することが必ずしも当人にとって良い結果をもたらすとは限らない。浪人して本当に良かったかどうかも、もっと先にならないと分からないかもしれない。しかし今分かることは、私は浪人して、これまでの自分がいかに小さな世界で生きてきたか、自分の未熟さ、弱さを思い知ったということだ。学校のない世界と向き合い、世の中のあらゆることに思いを馳せた。大学合格は第一の目標であったが、同時に結果にすぎない。私の浪人の意義はむしろ、これらのことを経験したことにある。もしこれを読む人が浪人生であれば、あまり自分を追い詰めすぎないで、頑張れる範囲で頑張ってほしい(とはいえ、私も当時はかなり追い詰められていたのだけど)。ひとつ加えるなら、予算が許すならできるだけ予備校に在籍してほしい。行くかどうかは自分次第だけど、一緒に頑張る友達はいないよりはいた方がいい。

 

 すべての浪人生にエールを込めて