みみげのブログ

思うままに書きます

浪人体験記

 

 浪人とはいかなるものか。浪人生は何をすべきか。巷にあふれる浪人生へのメッセージは、いまいち心に響かない。資質、学力状況、性格、環境、その他すべての要素が一人一人異なるからだ。ここでは一浪して京都大学に合格した私の浪人時代を振り返り、私が1年間何をし、何を思ったか、私自身が整理するための記録を書いてみたい。したがって科目ごとの成績の推移や勉強計画について詳細に書くことはない。あなたが浪人生であるならば、これを読んでもあなたの1年の計画になんの役にも立たないが、気持ちをいくらか軽くすることはできよう。

 

そうだ、浪人しよう

 私は現役時代、京都大学に落選した。なんと受からないと思っていたにもかかわらず滑り止めを受けていなかったため、大学進学という希望はあえなく散った。高校卒業後、行先の決まっていない人間の選択肢は3通りである。大学受験をしないか、予備校で浪人するか、宅浪するかだ。私は2023年3月、駿台予備学校に入校することにした。

 駿台の学費は年間約100万円、それに講習代がプラスされる。浪人生はここで、私立大学文系学部とさほど変わらない学費を払って大学進学を目指す。ここでは文理、学力ごとにクラスに分けられ、必修授業と各志望大学向け授業を受ける。私の通っていた校舎では、年5万を払えば自習室で個人が専用で使える席をあてがわれることができ、これは大変有用な制度だった。また、駿台ではガイダンス時、授業を切る人は授業に出ている人より成績が悪いと聞かされたが、そんなものはポジショントークに過ぎないので、コロナ禍によってオンデマンド配信が開始されたおかげで、私は6、7月頃から早々に授業を切ったり、貸し与えられた制約だらけのipadで配信授業を見たりしていた。このオンデマンド配信は、コロナ禍が収束したという理由で廃止されるという噂を聞き、私の生命線がなくなっては困るので心配していたが、なんとか1年間利用し続けることができた。夏期講習は初めは対面授業をとったのだが、私の生活リズムを考慮して担任が映像授業に変更することを勧めてくれた。そしてそれは大正解だった。夏休みが明け、私はとうとう予備校にほとんど行かなくなり、家にいる日は配信授業を見、自習のために週2、3日予備校に行くという生活が続いた。現役時代も秋からやる気がなくなっていたので、私は秋にダラける習性があるようだ。受験生としては最悪である。秋に関しては現浪共通で、共テに向けて本格的に勉強し始めた11月後半ごろまで、何をしていたのか記憶がおぼろげである。1月に共テを受け、自己採点でまあまあ上手くいったことが分かり、残り1ヶ月もほとんど家で仕上げを行った。そして2024年3月、1年越しとなってしまったが、京都大学に合格した。

 

浪人はモラトリアムである 

 ここまでは、なんだかやる気のない人間がぬるっと合格している様子が浮かび気持ちの良いものではないだろう。実のところ、「受からなかったらどうしよう」というプレッシャーは常にあったし、それは「夢やぶれて」絶望することに不安だったのではなく、「自分の環境で、1浪したくせに京大に受からなかったら恥ずかしい」という種の圧力である。私の場合、比較対象は現役で合格していった同級生たちでもあり家族でもあったが、何にしろとても健全な精神状態とはいえなかった。4月末、現役時代の開示結果によって1.0点差で落ちたことが分かっていたので、このプレッシャーに対して「あと1点あれば受かっていたのだから順当に勉強していれば大丈夫なはずだ」と自分に言い聞かせることによって平生を保っていた。受験というもの自体に納得できず、このように自分を追い込むことでしか勉強の原動力を確保できなかったのだと思われる。
 ところが、心意気は勉強に向いていても、その時の気持ちがそうとは限らない。浪人生は基本的に提出しなければならない課題もなく、全ての時間を自分の気持ち次第でどのようにも使えるので、遊ぼうと思えばいくらでも遊べるし、思索に耽ようと思えばいくらでもできるのだ。私の場合、問題に取り組んでいる時以外、常に頭が話すことを止めなかった。帰り道、音楽を聴きながら空を見上げる回数が増えた。このように文章を書くことを覚えた。本屋に寄って、詩集や短歌のコーナーを覗くようになった。

 人生には、こんなゆるやかな時間が必要なのではないだろうか。いや、精神的には全くゆるやかではないけれども、気が済むまでいくら考え事をしてもいい、誰に何を言われることも無く、結果さえ出せば後は何をしてもいい、時間に追われず(勉強には追われているけれど)、すべて自分の気持ち次第で一日を如何様にも過ごすことができる、そんな日々が必要なのではないだろうか。正常性バイアス、あるいは生存者バイアスだと言う人もいるだろう。浪人なんてつらいこと、できればしない方がいい。しんどい経験をするのは誰だって嫌だ。でも、ただでさえ忙しい現代人が、長い人生の中で1、2年くらいは学生でもなく社会人でもない、何者でもない時間を経験することによって得るものが確かにあるはずだ。もっとも、浪人生であるからには勉強しなければいけないプレッシャーで思う存分遊べないし、たくさんのことを来年へ後回しにするだろう。けれど人生は回り道だ。ちょっとレールを外れてみて、上手くいかなかったらまたちょっと軌道修正すればいい。ストレートで卒業し、ストレートで進学することが必ずしも当人にとって良い結果をもたらすとは限らない。浪人して本当に良かったかどうかも、もっと先にならないと分からないかもしれない。しかし今分かることは、私は浪人して、これまでの自分がいかに小さな世界で生きてきたか、自分の未熟さ、弱さを思い知ったということだ。学校のない世界と向き合い、世の中のあらゆることに思いを馳せた。大学合格は第一の目標であったが、同時に結果にすぎない。私の浪人の意義はむしろ、これらのことを経験したことにある。もしこれを読む人が浪人生であれば、あまり自分を追い詰めすぎないで、頑張れる範囲で頑張ってほしい(とはいえ、私も当時はかなり追い詰められていたのだけど)。ひとつ加えるなら、予算が許すならできるだけ予備校に在籍してほしい。行くかどうかは自分次第だけど、一緒に頑張る友達はいないよりはいた方がいい。

 

 すべての浪人生にエールを込めて

冬のこと10

 

おお ラクリモーサ  Ⅲ

だが冬!おお大地の
このひそかな内省よ、死者たちのめぐりに
きよらかな樹液を回収し、
果敢な力を蓄えるとき。
きたるべき春の果敢さ。
凍結の底に
思考がめぐらされるとき。
偉大な夏に着古された
緑がふたたび、あらたな
着想となり、予感の鏡となるとき。
草花の色が
私たちのまなざしの滞留を忘れるとき。

一「リルケ詩集」国安国世 訳 岩波文庫

 

 

最近は、韓国の詩の、芯が通っている力強さと、気候がら日本より冷ややかな感触にすごく惹かれている。
エッセイでは、ハン・ジョンウォンの「詩と散策」に収められている「11月のフーガ」がけっこう好き。作者と作者が飼っている猫は11月生まれでわたしも11月生まれだから、彼女の11月に対する思いを読んだときはわたしのことかと思ったほどすごく共感できた。わたしは温暖な地域に住んでいるから、凍った川も、大雪の積もった森もあまり目に触れる機会がなくて、けっこう羨ましい。あとは、パウル・ツェランを読もうと思ったけど、生死を主題に据える詩について、まだわたしには時が訪れていない気がした。いつでもその時が来てもいいように蓄えをしておきたい。

詩人や歌人が自分の中に生まれた芽をどうにかして外界につむぎ出そうとしている一方でSNS上ではものすごく雑に人間が語られているのに遭遇しやすい、その温度差に悲しみを覚える。言葉を削ぎ落として世界を見たい。説明を重ねなければならない相手はほんとうはどこにもいない。

やらなきゃいけないことが上手くいかなくてイライラして、紙をめちゃくちゃに破って、疲れて2時間寝たあとにニュースが耳に入って、ストレスと、世界も上手く回ってないことに怒って、悲しくなって泣いた。夜、この日いちばん楽しかった朝のカフェタイムを思い出して、もう1回泣いた。

幸福はそれに気がついたとき過去または現在のものとして事物に依拠し現れるのではなく、まさにその瞬間から始まる行為として訪れるのではないか?

─冬は備えの時といふことはあながち間違いでは無いかもしれぬ。現に吾は今冬を以て過去の幸福の柵を壊し先の幸福に生きる術を探さうとしてゐる。

音楽に垣根がないというのは厳密には嘘だと思っていて、楽器や様式に関する歴史の暗部をふまえた上で現代に生きる我々には垣根を越えて楽しまれてほしい。

蜃気楼

12月、街中の至るところで光が輝いている。人為的に作られた地獄が人々を虐殺しているのと同じ時間に、人工的に作られた美が人々に幸せの虚構を演出している。
人の作ったきらめきを信用できなくなっている。すべてきれいなベールで覆われただけの空虚なのではないか。毎年季節になれば咲く花や色づく葉ばかりが、時間は進んでいるのだと安心させてくれる。

誰もテレビをつけなかった大晦日、目の前の課題のためにいつも通りの日を過ごした

睡眠に消えた元旦、世界のくずれはじめる音が通り過ぎた

将来を考える時、職業とか各ライフイベントとかいろいろあるけど、結局どうやって死ぬかということを考えてる気がする。納得する死に方をするためにはどうやって生きるか、っていう方向性で

前期試験の終わりとともに、再び世界がもとの大きさを取り戻した

 

新たな自己喪失への対応

 『私立女子校体験記』(※非公開)を通して中高生活にさわやかな別れを告げたつもりだったのだが、新年を迎えたのち、新たな問題に悩まされた。それは母校の貴族的文化と、中学受験や家庭環境によって育まれたエリート主義との衝突である。記憶が鮮明なうちに色々考察してみる。発端は以下のツイートである。厳密には発端ではないが、文字を打っていないときにまともに思考できているとは思えないためこれが発端ということにしよう。鍵アカウントのツイートを埋め込めなかったため引用の形式で失礼する。

自分が勝手に学歴の序列を内面化しているだけだからそれに当てはまらない人についてどこかで羨ましいと思ってるんですよ結局 生まれた瞬間からコンプがあるので、実態はともかく実力はあるのに勉強や学歴に必死になってないように見える人の精神状態が本当に羨ましいしそんな人が多くいる母校が憎い

なかなか赤裸々なツイートである。いくらフォロワーが少なく親しい友達しかいないからといってあまりこういうことを素直に書きすぎるのも良くないかもしれない。このツイートは私が一浪の共通テストを終え2次試験に向けて勉強するために家に引きこもりすぎた結果軽い鬱を引き起こして書き殴ったもので、おそらく現役で第一志望を諦めすべりどめに進学した人への嫉妬と、大学への憧れなどではなくプライドが許さないために目標を下げずに浪人している自分を正当化したい気持ち、さらにこの1年の予備校生活とぬるま湯のような母校の学校生活との対比を分析した結果、このような文章が生まれてしまったのだろう。言っている内容は自分の気持ちに対してかなり忠実なように思う。

ところで、貴族=エリートか?否。断じて否。一昔前は貴族≒エリートだったかもしれないが、今やエリートに余裕などない。したがってここでいう貴族的文化とは、世俗的価値観に追従することを良しとせず、豊かな心を持ち、物事の本質を自らのうちに見出そうとする姿勢に基づく文化と規定したい。エリートについては、世俗的価値観─特に勉学に対して─と照らし合わせた場合に卓越性を持ち、一般的に社会的地位の高い立場に立つ者のこととしたい。私が12歳までの中学受験によって身につけたエリート主義は、勉強で卓越した結果を残すことを目指し、知性や勉学に過剰ともいえる重要性を見出すものであった。

以下は続きのツイートである。

同級生に対するこの視線は全く的外れかもしれない、でも私がいまいち母校を好きになりきれない理由はやっぱり勉強においても何においても貴族的なところで本当は大したことないのに社会の上澄みにいるような振る舞いをしているところ、

心に潜んでいたエリート主義が顔を出している。学校に通っていた頃は学校の雰囲気が私を圧倒していたので、このような考えは自分からも覆い隠されていたのだろう。しかし一年の予備校生活は再びこれを目覚めさせてしまった。世間的に見れば、少なくとも中一時点で世代上位数パーセントの学力を有していた集団に対してさえ、より上澄みの集団と比較して「大したことない」と言ってしまっており、根深さが窺える。より上澄みの集団とは父や兄の通っていた某中学・高校で、父や兄の存在はもちろん、直接関わりはないもののとても私の適いそうにない人々の存在を常に身近に感じながら育ってきたため、たとえ私の性別が男であってもそこに入学できなかったであろう劣等感、そんな私が比較的楽に入れた母校への軽視、母校の賞賛への抵抗、そして母校に心から満足している人への羨望、それらがこのツイートから読み取れる。

つまるところ、私はエリート主義を根に持ちながら、貴族的文化の洗礼を受け、半ば騙されたような気分になってしまったのだ。本当はやればできるのに高みを目指そうともしない人、そこに価値を見出さない人、知識を追いかけることに必死にならず、対話を大切にして人間性を磨く人、そんな人をかっこいいと思い、余裕のある人間に私もなりたかった。実の所は必死で見栄を張っており、プライドが高く、権威に裏付けされた知識を信用する人間で、受験的価値観に振り回されずエリート主義に侵食されていない同級生のようにはなれなかった。だから、私は自分に価値を見出すためにこんなに必死に知識を高めようとしているのに、そんなことをしなくても楽しそうに生きていられるのが羨ましい。こういうことだと思う。

現在、目下受験勉強中で全く余裕がない上に春になればおそらくこんな鬱々としたことをじっくり考える時間もないだろうから、覚えているうちに正直な心の内を分析してみた。完全な身内向けだしほぼ推敲もなしに書き終わったため説明不足感が否めない。しかしう〜ん、なんとめんどくさいやつであろうか。でも意外とみんなこんなもんなのでは?さあ、どうでしょう。こうやって自分の気持ちを整理して物語化すると、多少の齟齬があっても後で忘れているのでこれが真実になってしまいますね。おお、こわいこわい。というか結局「対応」できてないのでは?この気持ちに何の収拾も付けられていない気がしますが、夜中の1時半なのでこの辺にしておきます。早起きをできる限り続けたい。以上!

秋のこと70

 

季節のモノクル

病んで黄熟した秋は窓硝子をよろめくアラビヤ文字。
すべての時は此処を行つたり来たりして、
彼らの虚栄心と音響をはこぶ。
雲が雄鶏の思想や雁来紅を燃やしてゐる。
鍵盤のうへを指は空気を弾く。
音楽は慟哭へとひびいてさまよふ。
またいろ褪せて一日が残され、
死の一群が停滞してゐる。

一「佐川ちか詩集」 川崎賢子岩波文庫

 

 

 

【情について】

初対面の人を恐れずにいたい。本当は人のことは大好きなのに、誰に対しても片思いな気がする。同じだけの愛情を返してほしい。でも、返されたらそれはそれで、重いし怖い。

人を愛し、それが受け入れられるのは、人に愛されることよりもずっと幸福に違いない。

隣にいるのが恋人じゃなく友達だと残念がっても良いという風潮が嫌い。友達でも、クリスマスは一緒に過ごさせてよ。

高校卒業後、以前と比べて恋バナに興味を失った。当事者の口から噂話を聞いている気分になり、あなたとわたしの関係性に何ももたらしてはくれない。

子は親をこの世に繋ぎ止めるかすがいになるとは限らない。

たまによく知ってるはずの同級生に対して、初対面のころのような気持ちになることがある。

他人の価値観や感情を察することが下手で、正しい対応がいつも分からなくて怖い。でもそんな人の分からなさがきっと好きなんだと思う。

思いやりの心を持つ者が繊細であるとは限らない。

 

【言葉について】

小説の権力がでかすぎる。本といえば小説、じゃないのに。文学は別に高尚でもなんでもない。けど、過度に世俗的になってほしいとも思わない。

文学はポルノに過ぎないかもしれない。でも、それがあるうちは希望がある。

ピアノを弾いている間は文字を書かなくてもいい。文字を書いている間はピアノを弾かなくてもいい。手が使えなくなったら、ずっと歌って踊っているに違いない。

学者が、誰かの作品を時代の中に位置づける。それは必要なことかもしれないけど、時代の文脈でしか見られなくなったら可哀想だ。

言語化するときにこぼれ落ちてしまう感性をどうしたらいいのか分からない。

「地元」という言葉が苦手だ。ずっと住んでいる一定の土地がないというのもあるし、今の地元、といっても、根みたいにひとつの土地にくっついてない。そこは別にわたしの一部に含めたいとは思わない。関西弁にもそんなに愛着がない。「幼馴染」という言葉も苦手だ。そんな人いないから。

どこかから借りてきたような言葉で話さないでほしい。全部は無理でも、できるだけあなたの澄んだ言葉を聞きたい。

誰かがわたしの考えを代弁しようとして、たとえそれがほとんど合っていたとしても、それは言葉になる前のいろんな文脈から切り離された、全く別の言葉になってしまう。同じように、名言集みたいに長い文脈の一部を切り取って集められたものは、確かに効率的だし心に残るときもあるけど、発言者に対してあまり誠実な態度じゃないと思うし、言葉をあからさまに消費している感じが苦手だ。

 

【社会について】

簡単に、みんな大好きなんて嘘をつかないでほしい。見えないふりをしている者がいるはずだ。

女の子は身体を大切に、って、めちゃくちゃ気持ち悪い。男の子の身体も同じくらい大切だよ。母体だから大切にするな。自分の身体だから大切にしろ。

全ての人の苦しみが、せめて同じ苦しみならばマシだったのに。分かり合えない違う苦しみを与えるなんて神様は残酷だ。

「社不」が簡単に使われすぎている。真剣に悩んだことなんかないくせに。わたしも前は使っていたけど、もうやめる。

バランス感覚を持ち合わせている人は素敵だと思う。

諦めの悪い人間がもっと増えれば、世界はもっと良くなるのに。

隙を作らないよう常に戦っている気分がして、気づいた時からしんどい。

世の中みんな汚い。でも、生きている限りこの世の美しさを信じたい。

戦争や訃報に一時的に注目が集まって、ここぞとばかりに出版、広報、議論が始まる。最近はニュースそのものではなく、ニュースに対する世間の反応に疲れている。

人を人と思っていない人ばかり、人の考えていることを勝手に想像して、幻想に対して攻撃を向けている、あなたに人を裁く権利はないはずだ。

父親がフェミニズムの本をたくさん買って、いくらか読まずに放置しているとがっかりする。ポーズで満足しないでほしい。でも、わたしも自分が読めるタイミングが訪れるまでは、そういうことをしてしまう。

世界の色んな特集番組を見たあとにツイッターを開くと、Googleマップで小範囲に焦点を当てたときみたいに視界が急変して、頭を整理しなければならなくなる。そのとき、自分の属しているコミュニティの価値観の均一性が浮き彫りになって、怖くなる。同じように興味を抱いて同じように頑張る人としか交わらないせいで世界のほんの一部しか知らない、そのことが本当に怖い。

自分たちのことを自分たちで個性的と言ったり、自画自賛したり、必要以上に誇りを持ったりして、内側に閉じこもろうとする瞬間に立ち会うたび、吐き気がする。(自戒をこめて)

小さくても森がない街は、どんなに物にあふれていても死んでいる。

すごい人を、ただそのままの大きさで称賛しないで神格化する動きが苦手だ。どうしても敵わないと思う人のことを自分とは違う次元の人だと思うことで救われる気持ちはよく分かるけど、線引きしてその人を孤独の側へ追いやっているのと一緒だと思う。

自分は親が死んだことがないから簡単に片親の子を描けないし、自分が引き受けられないような境遇をキャラクターに主体的に選択させることもできない。なのに、ネット上ではどこかで見た大胆で面白い設定を組み合わせて、想像力や説得力のない話をみんなで気持ちよく消費している、これが本当に気持ち悪い。

全てに理由があるとは思っていないけど、少なくとも自分が生みだしたものについては、説明をつけられる状態にする努力をしてくれ、と思う。

多くの人が、自分はまっとうに生きていると信じて疑わず、社会から逸脱した人々を躊躇なく糾弾している。ボタンをかけ違えれば、誰もがその立場になる可能性があるのに。

 

【自意識について】

いちいち、これは苦手、これはおかしい、これは不公平だ、ということを考えてしまう。誰もわたしの価値判断なんか期待していない。

恵まれているって、人に言われるのは癪だ。そんなの誰よりも自分が分かっている、と思いたいけど、そんなことないのも分かっている。

わたしはわたしを苦しめたあなたを赦す。だから神様、どうかわたしのことも赦して下さい。

この身体がもっと身軽になって自由に人のための道具となり得るようになりたい。

(暗闇の中を歩くきみへ) きょうだいの出涸らしな人なんていないよ。わたしは違うし、きみも違うに決まってる。

いつも文字を打ちながら考えているから、文字を打っていない時は考えているようでいて何も考えていないんじゃないかと怖くなるときがある。

自分が意外と潔癖で宗教的な人間であることに最近気づいた。

わたしがこじらせているんじゃなくて、きみが真っ直ぐに育ちすぎているだけ。

直感的に人に不快感を感じるとき、自分でもびっくりする。そこからなんでそうなのか自己分析が始まるけど、きっと理由をつけて自分を赦したいだけだ。

人の誕生日を聞くのが苦手だ。興味がない自分に悲しくなるけれど、聞いた時点で祝う義務が生じるのが嫌だ。祝いたいと心から思っていないのに嘘をつくのは嫌だ。ほんとうに祝いたいときの言葉が霞むのは嫌だ。でも、これは受け売りだけど、みんな生きる意味を探している中で、生きているだけで理由なく人に祝ってもらえる、おめでとうと言ってもらえる日がある、それだけで少なからず救われている。

3人以上の集団で一緒にいる期間が長くなると、ある時急に距離を取りたくなる。その集団の色に染まるのが怖い。どこの団体であっても“肯定的な所属意識”を持ち始めたら抜け出したくなる。

思春期真っ只中の中3のときにEuphoriaを観たとき、レズビアン要素に全く気づかなかった。彼らの間にある感情は当時のわたしにとって何の違和感もなかったのに、今はちがうのが残念だ。

守れない約束がどんなに悲しいか、よく知ってる。だから約束なんてめったにしないけど、守れないと分かっている自分に悲しくなる。

理想が高すぎるとか繊細すぎるとかじゃなくて、世の中に妥協して生きたくない。

競争原理が過激化して抑圧的になること、逆に仲間内で差異を隠したり、協調を重視したりする姿勢、どちらも息苦しくなるときがある。

中途半端にコミュニティが被っている知り合いを見下している感情が汚くて、好きじゃない自分が現れないために視界に入ってほしくないと思う。すごく身勝手だけど。

心の中で人の良いところを見つけたり尊敬したりするとき、自分が本心で思っているのか、自分に対してポーズをとっているのか、分からない。

さまざまなことに敏感になればなるほど、純粋に楽しめるものが減っていく。そのことに疲れるときがある。

自分が良い人であるかどうかは自分では分からないけど、良い人になることを諦めないでいたい。

聖書教育が思考の癖と上手い具合に合致してしまい、倫理的な行動規範への呪縛が加速している。

みんなそうかもしれないけど、人間を好きでいるために、何か1個諦めているところがある。

何かをカテゴライズして複数性をとる人と、カテゴライズそのものを嫌う人がいるとすれば、自分は後者だと思う。客観が好きな人と主観が好きな人がいて、わたしはいつも放っておいたら追体験しようとし始めるものを、頑張って客観性を伴って位置づけている。

 

【行動について】

自殺する人って意外と多い。直接知ってる人で3人死んだ。

みんな何も言わないのにいつの間にかお洒落を頑張っている。何もしないだけで取り残されていく。変化するスピードが早すぎて、ついていけない。

平日の14時にTwitterをいじっているのはわたしだけだ。みんな同じ時間に、それぞれの活動領域で活動している。22時になったら一斉に人が増える。時間の方が人間を支配している。

突き詰めたいことが多すぎて時間と身体が足りない。

自分が気持ちよくなるために新しくハマれるコンテンツを探すのがだんだん面倒くさくなってきた。

あんまり寝ない方がいい時にずっと寝て、いっぱい寝たい時にあんまり寝られないのがつらい。

クラシックとか、絵画とか、本とか、映画とかに、もっと能動的に触れたい。一日中、ピアノを弾いて、本を読んで、映画を見るだけの生活ができたら、きっと1ヶ月は持つ。

みんな、毎日を楽しむために頑張っているし、それが結構上手な気がする。でも、毎日を楽しめないときがあってもいいと思う。

現実に見切りをつけたり、将来のために努力したりできる人は凄すぎる。わたしはきっとずっと子供みたいな理想を捨てられないよ。

わたしと同じような人が共感してくれるように文章を書いていると見せかけて、わたしがわたしに共感するために書いている。

流行を後追いしがちだから、流行っているときに知っていればもっと楽しいのかもしれないと思うけど、やっぱりみんなが注目しているうちは別にいいや。

SNS上では虚構や内面の方を公開して、現実社会の方に鍵を掛けるというのはパラドクスっぽくて面白い。

詩や短歌のコーナーをあさってみるけど、結局共感できる文章を探している。本当はそんなふうに本を読みたいわけじゃない。

 

 

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2023年 晩秋の編

今年はあまり外を出歩けていないから、来年はたくさんのところへ出かけて、もっと季節を感じたいな。

コロナ備忘録2023

 

ポストコロナがささやかれる2023年。はじめてようやくコロナウイルスに感染したので以下に記す。ワクチンは2020年にモデルナを2回打ったのみ。

11月2日の夜、喉の違和感を初めて認識。喋りすぎたかなと思い、少し喋るのを控える。

3日、京大オープンを受ける。横の人がおそらく体調不良で全く手を動かさず、お昼頃に早退していた。喉の痛みは軽い炎症を疑う程度。

4日、京都市内を歩き回る。引き続き喉の違和感が気になるが、風邪だと思いいつも通り過ごす。

5日(発症1日目)、朝から38度台の発熱を確認。インフルエンザの予防接種を受けた父が微熱を発症したこと、母の職場でインフルエンザが大流行していたことにより、インフルエンザを疑う。日曜日でかかりつけ医が休診日だったので明日まで待つことにする。39~40度台の発熱が続き、とりあえずこの日はイブクイックを飲んでしのぐ。父母私が3人とも発熱する中、たまたま兄の帰省予定が被る。丁度いいので大量のポカリとパンを買ってきてもらう。飲み物を飲み、トイレに行く他はずっと寝る。最高体温は40.9度

6日(2日目)、早朝に兄が帰宅。午前9時、病院に行く。なぜか37度台まで熱が下がる。この日は血混じりの透明の鼻水がたくさん出る。3人揃ってインフルとコロナ両方の検査を受け、コロナと判明。パンデミックから3年目にして初コロナ感染に驚愕する。ロキソニンムコスタを処方してもらい、この日は36度台をうろちょろする。ほぼ食欲ゼロだがうどんを食べる。この時、味覚障害が発覚。うどんが苦すぎて完食を諦める。食してから数時間後、胃もたれに気づく。うどんで胃もたれすることに絶望を感じる。一体何を食べれば良いのだ。一方で頭は元気になり、深夜までyoutubeと漫画を楽しむ。

7日(3日目)、胸糞悪い夢を見、15時くらいに起きる。母に喉によく聞くらしいプロポリスキャンディーというのど飴を貰うも、めちゃくちゃヒリヒリする。口コミによると効いている証拠らしい。確かに楽になった。胃もたれが悪化し、医者に許可を貰い市販のハイウルソ顆粒を飲む。この機会にUNEXTで葬送のフリーレンと進撃の巨人を見始める。

8日(4日目)、17時起床。おでんをたべる。若干卵がまずいが、それなりに味覚は戻っている模様。胃もたれがマシになってきた。しかし鼻づまりがひどく、頭がはっきりしない。目を使うと疲れるので、23時くらいまで再び寝る。0時頃、さすがにお腹が空いたので小さいサンドイッチを食べる。暇なのでコナンを見る。

9日(5日目)、虎に食われる夢を見る。18時起床。食欲が戻りつつある。おでんを食べ、2004年のパレスチナ特集を見る。鼻づまりがマシになり、鼻かみロボットと化す。痰が絡んで声が安定しない。ココアがいいと聞いて飲む。23時にサトウのごはんと味付け海苔を食べる。デカい痰が取れ、快適になる。

10~12日現在(6~8日目)、18~20時に起きて6~8時に寝るという12時間睡眠12時間起床が板についてくる。食欲が戻りつつ、喉が治りつつ、まだ鼻水は出るが、普通の風邪の後のようにだんだん回復に向かう。そろそろ勉強を再開しなければならない恐怖心に駆られる。だって19は京大実践だもん。

最も外出していない1年なのにコロナにかかってしまった。いつどこでかかるか分からないものだなあ。尤も、コロナにかかって初めて時代に追いついたという感じもしなくはない。これでようやく、私もポストコロナを生きられるぜ。

 

追記

さっき、mRNAワクチンを開発したカタリン・カリコと山中伸弥の対談番組を観た。自分の実験結果を信用して薬を実用化し、自分も使用するのはどんな気持ちなのだろうと考えた。また、役に立つものとそうでないものを予め分類することはできないということを改めて強く実感した。あと医学ってとどのつまり応用化学なんだ、当たり前だけど忘れかけていた。

さらに追記

カタリン・カリコはワクチンを打っていないらしい。なんでやねん