みみげのブログ

思うままに書きます

冬のこと10

 

おお ラクリモーサ  Ⅲ

だが冬!おお大地の
このひそかな内省よ、死者たちのめぐりに
きよらかな樹液を回収し、
果敢な力を蓄えるとき。
きたるべき春の果敢さ。
凍結の底に
思考がめぐらされるとき。
偉大な夏に着古された
緑がふたたび、あらたな
着想となり、予感の鏡となるとき。
草花の色が
私たちのまなざしの滞留を忘れるとき。

一「リルケ詩集」国安国世 訳 岩波文庫

 

 

最近は、韓国の詩の、芯が通っている力強さと、気候がら日本より冷ややかな感触にすごく惹かれている。
エッセイでは、ハン・ジョンウォンの「詩と散策」に収められている「11月のフーガ」がけっこう好き。作者と作者が飼っている猫は11月生まれでわたしも11月生まれだから、彼女の11月に対する思いを読んだときはわたしのことかと思ったほどすごく共感できた。わたしは温暖な地域に住んでいるから、凍った川も、大雪の積もった森もあまり目に触れる機会がなくて、けっこう羨ましい。あとは、パウル・ツェランを読もうと思ったけど、生死を主題に据える詩について、まだわたしには時が訪れていない気がした。いつでもその時が来てもいいように蓄えをしておきたい。

詩人や歌人が自分の中に生まれた芽をどうにかして外界につむぎ出そうとしている一方でSNS上ではものすごく雑に人間が語られているのに遭遇しやすい、その温度差に悲しみを覚える。言葉を削ぎ落として世界を見たい。説明を重ねなければならない相手はほんとうはどこにもいない。

やらなきゃいけないことが上手くいかなくてイライラして、紙をめちゃくちゃに破って、疲れて2時間寝たあとにニュースが耳に入って、ストレスと、世界も上手く回ってないことに怒って、悲しくなって泣いた。夜、この日いちばん楽しかった朝のカフェタイムを思い出して、もう1回泣いた。

幸福はそれに気がついたとき過去または現在のものとして事物に依拠し現れるのではなく、まさにその瞬間から始まる行為として訪れるのではないか?

─冬は備えの時といふことはあながち間違いでは無いかもしれぬ。現に吾は今冬を以て過去の幸福の柵を壊し先の幸福に生きる術を探さうとしてゐる。

音楽に垣根がないというのは厳密には嘘だと思っていて、楽器や様式に関する歴史の暗部をふまえた上で現代に生きる我々には垣根を越えて楽しまれてほしい。

蜃気楼

12月、街中の至るところで光が輝いている。人為的に作られた地獄が人々を虐殺しているのと同じ時間に、人工的に作られた美が人々に幸せの虚構を演出している。
人の作ったきらめきを信用できなくなっている。すべてきれいなベールで覆われただけの空虚なのではないか。毎年季節になれば咲く花や色づく葉ばかりが、時間は進んでいるのだと安心させてくれる。

誰もテレビをつけなかった大晦日、目の前の課題のためにいつも通りの日を過ごした

睡眠に消えた元旦、世界のくずれはじめる音が通り過ぎた

将来を考える時、職業とか各ライフイベントとかいろいろあるけど、結局どうやって死ぬかということを考えてる気がする。納得する死に方をするためにはどうやって生きるか、っていう方向性で

前期試験の終わりとともに、再び世界がもとの大きさを取り戻した